今までアメリカにて沢山の街を歩いてきたが、自然と人工物が共有する街が多い中、此処NYは大都会と言う印象が強かった。
しかし、その中でもアメリカは歴史が無い為、200年以上も前の建造物が多くそこに新しき物を増殖すると言う不思議な街だった。東京とは違い空気の透明度がとても高く日々過ぎて行く空の色が全て違っていた。そこには確固たる自然が存在していたのだ。写真に残した物はほんの僅かだったが、様々な空の顔を見せてくれる。
「大都会」とはそう言うものなのだと思った。大都会NYにも私が描くアラスカと同様な空を見せてくれる素晴らしい街だった。そしてそこで住む人々は活気に溢れその日、一日一日を必死に生きて行く姿が在った。無駄に一日を過ごす人は居らずその日一日に全てを掛ける人間の姿が在る。素晴らしき街だった。
話は変わり、NY Agora Gallery でも私の絵は想像を超える評価と、レセプションパーティーでAgoraが持つ一流ギャラリーとしての力の強さを知らされた。NYチェルシー地区は地区全体が画廊街で芸術の街である。その中でも25番通りは、NYチェルシー地区のメインストリートで、最も中心に有り一番大きなギャラリーでもあった。私のビジネス通訳してくれた谷川さんもNYの芸術大学の大学院生、その方が切々と語って私は昂揚した。そこで発表の場を持てる者は世界中でもほんの僅か・・・。
売れるか売れないかだけで判断される厳しい世界、妥協も何も無く、そこで力一杯自分の世界を表現出来る者しか住む事の出来無い場所。
私の絵は人に癒しを与えるとても優しさに溢れる絵と評判が良く私は夢の世界に居るようだった。只、肝心なのはこの大舞台が来年、再来年と続くかどうか心配に成り、社長のMrs Angera に聞いてみると、応えは「もちろん!私は貴方の絵のファンでもあるのよ。」と言ってくれてほっと胸を撫で下ろした。
私は「限り無き夢・それに伴う努力・無謀で良いから挑戦してみる。」この言葉の重要さが今、理解出来た。中では、古くからAgoraの専属作家をしている先輩作家が絶賛してくれて「君は天才だ」とまで言ってくれて自身がついた。今年のNYでの個展は大成功だったと言える。
そして今までよりも奢る事無くニューヨーカーの様に、力の限りグローバルに芸術と言う舞台の中で暴れようと思う。 そう決意した私だった。